Profile

順調だったライターを卒業して、ひとり起業を選んだ理由

順調だったライターを卒業して、ひとり起業を選んだ理由
bluefield1218

なぜサービスを立ち上げたのか。その理由と、これから目指す未来をお伝えします。

カフェのありふれた光景

2024年の夏。

カフェで「これからどんなサービスをつくろうか」と考えながら、ノートにアイデアを書き留めていたときのことです。

集中力が途切れて顔を上げると、ランチ後の店内には、コーヒーを片手に言葉を交わすビジネスパーソンや、友人と熱心に話し込む女性たちの姿がありました。

耳を澄まさなくても聞こえてくる声が語っているのは、不満や愚痴といった類のもの。

仕事、家庭、人間関係。

それぞれ語るテーマは違えど、未来や喜びを語る人はおらず、その「ありふれた光景」に気分が沈みました。

私自身が不平不満を語ることもあるけれど、それも含めて「いつものことだ」と感じたことに、寂しさを感じたからです。

この場所では自分の「これから」をイメージできないと思い、私は店を出ることにしました。

その帰り道に、思い出したことがあります。

心に響くことば、閉じることば

思春期のころ、雑誌に掲載されているアーティストのインタビューや、著名人のエッセイを読むのが好きだったこと。

本の中にいる会ったことのない大人が語る言葉は心に響くのに、身近にいる大人が説く正しくて分別のある言葉には心を閉ざしていたこと。

同じ日本語なのに、なぜ受け取り方に違いが出るのか。当時は見当もつかなかったけれど、今ならわかります。

「心に響くことば」が私に伝えてくれたのは、不安定な足場を自分の足で歩くための知恵と勇気。

「心が閉じることば」が教え諭してくれたのは、自分以外の誰かが求める枠からはみ出さないための処世術だったからです。

インタビュー記事

子どもの頃から、私の周りには

といった言葉があふれていました。

こうした言葉は、相手の可能性と心を閉ざす原因にはなっても、活力にはなってくれません。

語っている大人も、人生の中から「楽しい」「面白い」といった単語が消えてしまったかのように、眉間にしわを寄せていました。

反対に、

といった言葉は、相手の心を開き、不安な中でも自らの意思で進んでいく力に変わります。

語っている大人の豊かな表情と生き方が説得力となり、相手の中に活力として残るからです。

10代の頃の私は、雑誌や本の中にある「心に響くことば」に支えられていました。

心に響くことばを語る人は、実感を語ります。それは誰かが言ったことを鵜呑みにせず、自分で確かめて出した答えです。

そう思っていましたが、20代の私は、10代のときに「なりたくなかった大人」そのものでした。

好きでも得意でもない仕事

社会人になったばかりの頃。

現実の厳しさを言い訳にすることを覚えた私は、

と考えるようになっていました。

編集者やライターという仕事に憧れていたけれど、自尊心の低さから「私には無理」と思い込み、チャレンジする勇気が持てない。

働く意味も意欲も見つけることができない。

かといって働かなければ生活できないので、大学卒業後はお金のためだけに興味のない仕事をし、不満と愚痴をこぼしながら働いていました。

転機が訪れたのは、31歳のときです。

当時は、システムキッチンなどを製造する住宅設備メーカーのショールームで、お客さまの要望に合わせて商品の提案をする仕事をしていました。

優秀ではないけれど能力不足と評価されるほどでもなく、周りから見れば問題のない状況だったと思います。

けれどふいに、「このままでいいの?」という疑問が心の中に湧いてきました。

転機が訪れたとき

心より体のほうが正直だった

昼食を取る時間もないほど詰め込まれたお客さま対応。理不尽なことにも黙って頭を下げたあと、何事もなかったかのようにつくる笑顔。

成績のためだけの不必要な提案。気絶するように眠っては、這うようにして玄関を出る毎日。ベッドの中から動けない休日。

私は、仕事が好きではありませんでした。

自分の行動に意味を求めたがるタイプにもかかわらず、何の目的もなく働いている矛盾。

無駄なことに時間を使いたくないくせに、好きでも得意でもない仕事に毎日向かう虚しさ。

こうした心と行動の乖離を無視できなくなって、「このままでいいの?」という疑問に行き着いたのだと思います。

ある日、お客さまをお迎えしようとショールームの入口に向かったときのこと。

これまで感じたことのない強さと速さで心臓がドクドクと動き、動悸が止まらなくなりました。

両手が自分のものではなくなったように震えていました。

うずくまりながら真っ先に考えたのは、自分のことではなく仕事のこと。

仕事に穴をあける焦りと恐れ、ほかの人に迷惑をかける罪悪感で、頭がいっぱいでした。

直観的にそう感じ、私は会社を退職しました。

先のことは不安でしたが、当時はそうするしか自分を守る方法が見つからなかったのです。

心と行動の矛盾から目をそらすことで自分を守れる時期もあるけれど、行き過ぎれば自分が自分であることの意味を失います。

久しぶりに訪れたモラトリアムは、働き方を通して生き方を変えるチャンスでした。

諦めたことを、やってみよう

自分をだましながら好きではない仕事をすること。苦手なことに力を注ぐこと。それが自分の心と体に返ってくること。

身をもって理解したのなら、次にやるべきことはおのずと決まってきます。

やってみたかったのに、やる前に諦めた仕事に挑戦しよう。ライターになって、心に響くことばを伝える人になろう。

やらないまま消耗し続けるか、やりながら壁にぶつかるか。

どちらが自分にとって苦しいか天秤にかけた結果、私は「やってみる」ほうを選びました。

動悸や手の震えは、会社を辞めてからは一度も現れませんでした。

自分を活かして働く

ライターの仕事は、嘘のように楽しく、自分に向いていました。

もちろん、最初は文章力なんて皆無。けれど、

これが原動力になり、前のめりで書いて伝えるスキルを磨いていました。

ライターの仕事

10年間のライター生活で携わった媒体は、広告、フリーペーパー、雑誌、ムック、広報誌、書籍。メルマガ、電子書籍、Webメディアなど。

気がつけば、紙とWeb両方のライティングと編集を経験していました。

その中でも得意だったのは、インタビュー記事。

もともと雑誌のインタビューを読むのが好きで、実感を語る人の話を聞きたかったことが、ライターになった原点です。

こうした人たちの話は、本当に面白いんです。

誰しも挫折や失敗は経験していますが、それを諦める理由にはせず、ゴールの途中にある通過点として捉え、先を見すえている。

語る言葉も力強く、説得力があり、難しい言葉を使わなくても、心に響く。

私は、仕事が好きでした。

ライターや編集の仕事にやりがいを感じていたので、「嫌だから辞めたい」と思ったことは一度もありませんでした。

それなのに40歳を迎えたあたりで、またあの疑問が心に浮かんできたのです。

「このままでいいの?」と。

我慢もしていない。自分を犠牲にもしていない。むしろ自分を活かしながら、好きで、得意な仕事をしているのに。

いったい何が問題なのか、すぐにはわかりませんでした。

「人の役に立つ」って?

原因不明の問いに答えが出たのは、ある取材前の雑談がきっかけでした。

書くことはコミュニケーション

ワーキングマザー向けの転職記事を書くため、以前も取材したことのある転職エージェントの方と、久しぶりにお会いしたときのことです。

前回の取材記事を読んで、弊社に相談にいらした女性がいます。その方が、条件の合う職場を見つけて無事に転職されましたよ

取材先の転職エージェントさん
取材先の転職エージェントさん

私が書いた記事を読んだことがきっかけで、望む働き方を叶えた人がいるというのです。

鈍い私は、この話を聞いてから数日後にハッと気づきました。

なんだか、すごくうれしいぞ…

私

マスメディアが発信する記事は、多くの人にメッセージを届けられる半面、読者のリアルな声や反応を実感しづらい面があります。

大量の記事が発信される中で、埋もれないように工夫を凝らす。数を打つ。その繰り返しの毎日に疲弊がないといったら嘘になります。

そんな中、自分の手掛けた記事が誰かの役に立った。妄想ではなく、事実としてその実感を得られたことが、思いのほかうれしかったのです。

この出来事をきっかけに、私は「仕事を通して人の役に立つとは何だろう?」と考えるようになりました。

固定観念をアップデート

実をいうと、私は「人の役に立つ」という言葉に苦手意識を持っていました。

うれしかった出来事

これは私の固定観念が原因です。社会に出たばかりの頃、私は次のように考えていました。

誰かの役に立つから仕事として成立している。でも、仕事は自分を犠牲にすること。だから人の役に立つためには、自分を犠牲にしなければならない。

そう思っていたんです。

ライターになり、仕事に楽しさを見出せるようになってからは、仕事は自分を「犠牲にするもの」から「活かすもの」に変わりました。

けれど「人の役に立つ=自分を犠牲にすること」という固定観念は、アップデートされないままだった。

これに気づいたとき、私は人の役に立つことの意味を更新しようと思いました。

固定観念をアップデート

これが今の結論です。

以前は、人の役に立つことを「義務」と捉えていましたが、今は「望んで引き受ける役割」と考えています。

31歳のときに「このままでいいの?」と疑問に思い、未経験からライターに挑戦することで、「仕事=自己犠牲」の方程式を変えました。

40歳を迎えたタイミングで再び同じ疑問が生まれたのは、きっと「人の役に立つ=自己犠牲」の方程式を変えるタイミングだったから。

これから引き受けたい役割は何か。私の経験やスキルが必要とされるフィールドはどこか。

それらを模索する中で、私はある悩みに出合いました。

伝わる文章のパートナーに

それは個人起業家やフリーランスの方たちが抱える悩みです。

商品やサービスの魅力を伝えるときに、

こうした悩みを抱える人の共通点は、誠実さです。商品やサービスと一緒に、届けたい想いを持っています。

誰かの真似や、売るためだけのセールスライティングではなく、借りものではない自分らしい言葉で、商品の良さと大切さを伝えたい。

悩みに耳を傾けていると、こうした想いが伝わってきます。

届けたい想い

私は子どもの頃から、その人ならではの言葉や哲学を持っている人が好きでした。

伝える技術を持てば、その言葉や哲学に共感してくれる人と出会える可能性が高まります。

類は友を呼ぶからです。

誰かの役に立てる商品なのに、伝える技術がないから知ってほしい人に届かない。そんな悲しいことはありません。

だから、私が「伝わる文章づくりのパートナー」になる。1人で発信することが難しいなら、そのサポートをする役割を引き受けよう。

そう思い、10年続けたライターの仕事に区切りをつけて、自分のサービスを立ち上げることにしました。

10年分のインタビュースキルとライティングスキルをプレゼント

発信するより大事なこと

インターネットとSNSが広まり、誰でも気軽に発信できる時代。だからこそ、大事なのは「発信すること」ではありません。

発信するときに「何を伝えるか」です。

誰かの真似や、受け売りのメッセージは、いずれ見抜かれます。短期的には効果が出ても、飽きられ、目移りされ、長い目で見たら人が離れていきます。

なぜかというと、書くことはコミュニケーションだから。

会話と違って目の前に相手がいないため、書くことは一方通行の伝達手段だと思われがちです。

けれど実際は、目の前にいない人と文字を通して交流を深めているのと同じ。

読んでほしい相手がいるのなら、書くことはその人と親睦を深めるためのコミュニケーション手段なんです。

そして同時に、言葉を使って広く発信していくことは、影響力を高めることでもあります。

自分のメッセージが誰かに響き、それがまた自分にも返ってきて、ひいては社会全体のムードにもつながる。

発信者一人ひとりが、実感のこもった「心に響くことば」で伝えられるようになれば、子ども時代の私のように、そのメッセージに励まされる人がいるはず。

未来のカフェを希望で満席に

そう遠くない未来に叶えたいのは、街のカフェが希望で満席になることです。

偶然入ったカフェで、愚痴ではなく可能性を語る声が聞こえてくるように。

何かを犠牲にすることなく、自分を活かして働く人が増えるように。

そのために今、伝わるメッセージを編むためのサービス「Amu(あむ)ことばの料理教室」をはじめました。

どんなサービスがあるの?

profile
青野 梢
青野 梢
伝わる文章づくりのパートナー
個人事業のキャリアコンサルタント
1981年生まれ、愛媛県出身。東京在住。住宅設備メーカーで提案型の接客を経験後、31歳で未経験からフリーランスのライターに転身。

広告媒体の編集を経て、インタビュー記事の執筆にも取り組む。これまで書いた記事は800本を超え、インタビューした人は300人以上。

女性のキャリアを応援するWebメディア「日経ウーマンオンライン」や「日経xwoman」の執筆・編集にも従事。

キャリア形成を体系的に学ぶため、国家資格キャリアコンサルタントを取得。ビジネス書の編集も手掛ける。

取材相手からは「気づきの多い時間だった」という言葉をもらうことが多く、対話を通して経験や想いを深く掘り下げることが得意。

現在は約10年の取材・執筆・編集経験を生かし、起業家やフリーランスの発信を支援。伝わる文章づくりのサポートをしている。
記事URLをコピーしました